未定

20代男性の日常で思ったこと、日記くらいのテンション、いや、メモくらい

生きていい?

ヤマト運輸の社員が巻き込まれた。

 

日々新しい事件が起きる。

 

それは何事もないようで、確かに人々に影響を与えている。

 

薬で逮捕されたり、殺人だったり、横領だったり、偽装だったり

 

水面下にあるものが、水面にでてきただけ。

 

でもそれは突然起きる。予感もあるかもしれないけど。

 

ばれないと思ってて、大丈夫と思っていて、そんな言葉が聞こえてくる。

 

だけど起きれば事件、起きなければ思惑。

 

イチかバチかで表裏一体。

 

そう思うと、なぜ意味もわからぬ事件でほとんど無関係の命が奪われるのか。

 

生きる意味などはないけれど、それ以上に確かなのは

 

奪われる意味などないこと。

 

一人ひとり気ままに過ごしていいのに。

 

もっと気持ちのいい場所で生きていけばいいのに。

 

もうやめにしないか、生きるか死ぬかの人生ゲームは。

 

みんな幸せになれるはずなのに、誰かがそれを怖がっている。

 

なぜ

 

誰かに幸せを奪われた人かもしれない

 

でも

 

立ち止まって考えてほしい。

 

誰が決めたことでもないけれど

 

もしかしたらそれが”神”なのかもしれないけれど

 

必ず

 

絶対に、みんなが、幸せになれる世の中であるということ。

 

ゆっくりでいいから一歩一歩、歩いて行こうと思った。

音楽のすばらしさ

音楽って、すばらしいですよね

 

いつもいつも、味方でいてくれる。

 

僕の経験上、音楽というものに裏切られたことは一度もありません。

 

常に、そばに寄り添ってくれて、いつもどんな時も

 

ありのままの自分とともにいてくれました。

 

ある友人が言いました。

 

歌手は神の使いだと。

 

天から降りてきたメッセージを体を通し

 

いい音で発信しているのだと。

 

昔から儀式や決まりごとに際して

 

いつもそこに奉納や祝の意味で歌があります。

 

確かに言われていることはわかります。

 

本当にそうなのかもしれません。

 

僕の人間、生き方自体なんですが、決めつけることがすごく嫌いなので

 

はっきりとは言いません。すみません。

 

でも不思議だとは思いませんか?

 

僕は昔むかし、本当に不思議だと思いました。

 

小さい頃、ピアノを習っていたんですが

 

なぜ、ド、ミ、レ、ソ、ラみたいな音を羅列させると

 

音楽になり、誰かの感情を動かす。

 

誰かを悲しい感情にさせようと思ってもなかなかできることではないです。

 

だけど、ただの音の羅列で、人が悲しい、切ない気持ちになります。

 

これは僕の意見ですが、この先1000年、2000年たったとしても

 

音楽は、不思議な力を持つ、って言われていると思います。

 

それだけの年数が経っても解明できないことじゃないでしょうか?

 

なぜそこまで言うのか?

 

僕は思います。

 

すぐに効きます。

 

大体の音楽は4分くらいで終わります。

 

でもその間に人は泣いたりします。

 

感動したりします。

 

4分足らずでそこまで人間の感情を動かせるもの、他にあるでしょうか?

 

僕は大切な人に、自分の大切な音楽を教えていきたいです。

 

人生で大切なシーンの一つに、それがあります。

 

アイラブミュージック♡

湧き上がるもの

人と人のつながりは、四半世紀をかけて変わってきた。

戦前、まだ規律という言葉が言葉でしかなかった時。

皆、言いたいように叫んだ。

皆、歌いたいように唄った。

皆、生きたいように行きた。

これから来るのは、

個々のインディビジュアルが、社会的な立場を得られなくなってくるということだろう。

それは、人間の奥底にしまわれ、もっと機械的で、合理的、常に計算しているような脳味噌が、良いとされる世界。

どちらがいいのか、

私は、人間になるためには、傷を負わなければならないと思う。

負けなければいけないと思う。

そうしたトラウマや、後悔、寂しさ、

足りないと思うことが、欲することが人間。

個々のインディビジュアルみたいな、ふざけたエラーはなく

当たり前のように、正常に機能することで、それは逆に退廃を意味する。

生産、消費、供給、サイクルを繰り返し、やがて朽ち果てる。

いつの日か、半永久的な収束、終わりを意味する。

バグは、困る人を作り出すが

その解決という答も同時に作っている。

天と地どちらに転ぶのか、

自分が望んだほう。

幸せとはなにか?

幸せとはなにか?

このとても漠然とした、ありきたりな問について、今回は考えながら書いていくことにする。

 

幸せな時、周りの物や人はどう見えるんだろう。

ふと自分の体験から思い出してみる。

 

身体を吹く、風が気持ち良いと思う。

じわっと指す太陽の光が、目の前の景色を照らしているのが、綺麗だと思う。

不規則に立つ木々が、一つの大きな森を作っていて、その荘厳さに心打たれる。

子供の手を引く母親、仲睦まじさに、ほっとする。

 

幸せを感じてる時は、当たり前なものにこそ、感化されるだろう。

なぜ当たり前だと、じーんとくるのか?

ちょっと前に、それについて不思議だなと思ったことがある。

 

それは、大金でも、絶世の美女でも、豪華なご馳走でもなく

当たり前、なのである。

 

大金を手にした時、絶世の美女を目の前にした時、ご馳走を出された時

僕たちは、おそらく皆、こう思うだろう。

 

この大金で何を買おうか、増やすために何かに投資しようか

この女を、好きなように抱いてやりたい

腹いっぱいたらふく食ってやりたい

 

ここで一つ共通するのは、”欲”が出てくるということだと思う。

欲出ると、人間は足りないと感じる。

しかし、幸せとは、満たされることだと思う。

ただこの場合、欲が出てきて満たされることはない。

 

水で満たされているコップを目の前に出されると

人間は、足りないと思うのだ。

 

しかし、理想は一つ。

水が少しだけ入っているコップに幸せを感じたい。

 

なんでもない日々の小さいものに満たされたい。

そんな日は、すごく嬉しい気持ちになれる。

 

満たされないことは、幸せなこと。

みんなのソウル

こんばんは〜〜みんな!

 

今日は、ふと思ったことを話そうと思います。

 

僕は、誰かと話す時、自分の話したいことを話します。

 

人によっては、話した事実が欲しいからとか

 

自分のブランディング的に誰かに話す人もいます。

その時は、1人に話しているようで、実は周りのみんなに話しています。

 

日々の立ち振る舞いって、非常にその人自身の性格が出ます。

 

あっこの人ってこんな感じなんだ

 

とか最近すごく思うようになってきています。

 

6種類くらいだと思うんです、性格別にすると。

 

今までは、誰がどんな人で、どんな性格なのかってわかりませんでした。

 

今はああ、この人は、あの人タイプね。

 

ってわかるようになってる気がします。

 

 でもどんな人であっても、自分のやり方ってあると思うんです。

 

周りはこう言ってるけど、自分はそうは思わなくてこっちの方がいいと思うとか。

 

その時皆さんはどうしますか?

 

相手に自分がそう思う理由を説明しますか?

 

それとも、差し障りない様に、相手に言うことを一回理解しようとしますか?

 

どっちかですよね。

 

でも、みんな人それぞれ思い描くもの、大切にしたいものって違ってくると思うんです。

 

そうなった時、力技で説き伏せるのもナンセンスだし。

 

わかったふりしてわかってないのも、ナンセンスなんです。

 

ソウルをぶつけ合うのが1番だと思うんです。

 

どれが1番効率的だとか、どれが1番楽だとかっていう話はあんまり重要ではなくて

 

俺は、私は、こうやってやりたいし、こうやって生きたい。

 

っていうこと。

 

それは相手を否定するものではなくて、百歩譲って自分の世界を話しているだけ。

 

それぞれのソウルを話し合えばいいんだと思います。

 

お金の利益も、自分のマウンティングも全く関係ない、みんなのソウルです。

 

そうすれば、いい答えが見つかると思うんです。

 

だってそこには、利害関係なんて一切ないから。

 

生き方ですから、そのやり方ですから。

湧き出る感情

こんばんは

 

今日は感情について話したいと思います。

 

日々、感情は生まれてきて、すぐに死んでいきます。

 

記憶になるやつも、いれば

過去になるやつも、います。

 

日々、私達は感情を生んで殺していきます。

 

そこにはたくさんの理由があって、忘れたいとか、忘れたくないとか、大事とか、義務とか。

 

でもそういう理由の前に感情はあまりにも素直に振る舞います。

 

僕たちが思う理由なんて感情にとってはちっぽけなもので、いつも感情は理由なく生まれてきます。

 

きっと理由がある感情もあるけど、それは生まれてきたけど、形にならなかったやつです。

 

もっと理由がわからない感情ってありませんか?

 

どうしても、って自分に甘える時。

 

わかんないけど、って、感情に理由をつける時ありませんか?

 

そういう意味で、ぼくは感情を大事にしたいって思います。

 

自分の子供と一緒だと思うんです。

 

生まれた理由なんてなくて、生まれた義務も、責任もありません。

 

ただそれがあるってことを、僕らが受け入れればいいんです。

 

それが大変でも、未来が見えなくても、それが自分の分身なんですから。

 

一瞬で生まれて、一瞬で消える感情。

 

だけど、僕らの人生に、タトゥーのように刻まれる感覚です。

 

忘れても、言われて思い出せなくても、僕たちの心は感じたことがあって、

 

もう一回それを感じた時、2回目!って僕らは思うんです。

覚えていなくても。

 

その後の僕らの人生に影響するんです。

 

なぜなら、その神経反応を神様は知っているから。

 

だから覚えていなくても、嫌な思いをたくさんすれば、それがトラウマになる。

 

今みんなの中に湧き出ている感情を感じてほしい。

 

それはみんなの人生のタトゥーであり、刻んでいる歴史だから。

 

嫌なことも嬉しいことも同じように、心に刻まれる。

 

忘れても、あなたの行動の小さな理由と言い訳になってる。

 

人間って全然弱い生き物で、それを知らないような振りしてると、他人を知らないところで傷つけたり、圧迫したりするんです。

 

ハイになって、夢想状態になって、痛みや血の味を忘れて、自分のために突き進む人もいます。

 

それでもある程度の成功はつかめますけど。

 

そんなこと自明じゃないですか、誰でもやってきたじゃないですか。

 

ナチスだって言ったら国民皆ハイだったすよ笑

 

でも世の中からしたら、深くて、低い地上で、永遠の充実を感じる方法、探したらいいんじゃないですか?

 

そのほうが、よっぽど難しいですよ。

 

みんなに邪魔とか、嫉妬とかでどうこう言われますんで。

 

僕はそういう風に生きようとしてるのに、みんな邪魔してきてんなぁって思いますもん、みんなが。

 

嫉妬なのかな、焦りなのかな

 

 

 

急がば回れ

 

うさぎとかめ、だと思います。

 

そう思っています、今。