新しい時間の使い方
時間の無駄。
生まれてこの方、誰しもがよく耳にしてきた言葉だと思う。
時間の無駄、何を持って無駄なのか少し考えたことをここに書き出す。
まず、自分が思ったのが時間の"無駄"という部分。
裏返せば無駄なく時間が使えた場合が存在する、または想像できるということだ。
この時間の無駄というワードが出てくるシチュエーションを考えよう。
Aくんが、試験勉強をしなければならない日に、大好きなお笑い番組がスペシャル放送していたとする。
そうすると、勉強がさして好きではないAくんは、テレビをみてしまうか、試験勉強をするか迷った挙げ句、テレビを見てしまった。
この場合、ほとんどの家庭のお母さん達はAくんに向かって
「時間の無駄」
というだろう。
テレビを見終わったあと、お母さんに叱られ泣く泣く勉強し始めたAくんは、
眠たい目をこすりながら勉強をする。
テレビなんて見てないで勉強すれば、時間の無駄にもならなかったのに。
そんなことを言われるだろう。
だけどそれは少し違うと思う。
勉強をする時間、あるいはしなければ何かを逃してしまうタイミングで勉強以外のことをしたのなら、先に勉強しておいて、あとからテレビを見れば良かったという論理は成り立つとは思うが、どっちを先にやってもいい時、先にテレビを見てしまってもいい。
多くの場合、勉強をしろ、という命令に反して何かをしていた相手に対して
なんで俺の言うこと聞かないんだ、なんで俺の言うとおりにしないんだ。
という文句を、あたかも客観的な意見に落とし込んで、時間の無駄と相手に吐く。
それは時間の無駄ではない。
1時間に一本のバスに乗れるのに、いつでもできる作業でそのバスを逃し
バスに乗り遅れたことで、バスに乗る前に優先した事よりも被害や損失を被るのなら
バスに乗って、タスクをこなした上で、いつでもできる作業をその後の空いた時間でこなせばいいと思う。
どうしても優先して、やっておいたほうがいいことも、世の中にはある。
それ以外のことでは、気分とか、自分の中のスケジューリングを優先したほうが後々良かったりもする。
これは一つの例に過ぎないが、夢中になりすぎて何かを成せる実力や知識をつけて
人より秀でている人だっている。
その夢中になりすぎている過程では、少なからず少しの優先順位や、常識などは無視していると思う。
でも自分が何かに夢中になっているくらいなら、それがよっぽど人道を外れてはいない限り、突き進んでみてもいいと思う。
その後、一度立ち止まって冷静に考えるような、タイミングは必ず来るから。
誰しも夢中になれるわけじゃないから、結構貴重なタイミングだと、自分は思う。